親愛なるJ.B.ハロルド君へ


 硝子越しに見える摩天楼に太陽が沈んでいく。また、どこからかパトカーのサイレンが聞こえてくる時間になったようだ。この街の夕暮れは、いつだって犯罪者と警察の匂いから始まるらしい。J.B、久しぶりだな、元気でやってるか。

 早いものでリバティタウンを離れてもうすぐ1年、心配をかけた体のほうも昔ほどの無理はきかんがまずまずだ。それにしても長年の刑事暮しとおさらばして、ようやく見つけた第2の人生がこんな大都会での生活だったとは、我ながら思いもしてなかったことだ。ロックフェラーのツリーの下でニューイヤーを迎えたのは、いったい何年ぶりのことだったろうか。退院後、娘のジェーンがマンハッタンで一緒に暮らさないかと言い出したときには、ずいぶん考えたが、今では思いきって来てよかったと思っている。ジェーンのやつ、初めのうちは、この頑固親父がいつまでおとなしくしているか心配でたまらんようだったが、近頃はやっとひと安心らしい。早くに女房を亡くしたせいで、あの娘には昔から苦労ばかりさせてきてしまった。相変わらずやさしい笑顔で俺の世話をしてくれるが、ほんとうのところ、こんな親父のことなど考えず、誰かいい男とでも一緒になってくれればと思っているよ。もっとも今のところは浮いた噂もないらしいがな。 あの娘は今、5番街の南の市立図書館で働いている。たくさんの本や資料に囲まれて、結構忙しい毎日らしい。

 さて、例の新しい仕事の方だが、おかげでなんとかやっていけそうだ。この街では、こんなちっぽけなオフィスにでも、食いつなぐだけの仕事はころがりこんでくるらしい。むろん、この仕事には君と組んで犯人を追っていたときのような派手な捜査などあるはずもないが、ただそれでも、誰の人生の裏側にも潜んでいる、あの「意外な事実」ってやつにだけは、ひょっこり出会いそうな、そんな予感がしている。考えてみれば、保険の信用調査なんて仕事、退職刑事の俺にはおあつらえむきだったのかもしれんな。

 ところで、J.B、さっそくだが、ひとつ相談がある。感のいい君のことだ、こういう俺の心はすでにお見通しのことだろう。どうやら、やっかいなことに首を突っ込んでしまったらしい。話を聞いてくれ。

 『サラ・シールズ』という名前の若い女、覚えているだろう。そうだ、先だって君が担当した「ビル・ロビンス殺害事件」、あれで証言をしてくれたパブのピアニストだ。君からあの事件の調査結果を聞かされたおかげで、俺の記憶の中にもその名前はしっかりと残っていた。その彼女が死んだ。このマンハッタンで、アパートの窓から落ちて死んだんだ。

 今月9日の夜、その不幸な事件は起きた。サラ・シールズは3ヶ月ほど前から女友達とふたりでダウンタウンのアパートに住んでいた。その夜、ルームメイトのフラニー・ビンセントは外泊していて、彼女はひとりきりだった。そして真夜中、彼女は自分の部屋の窓から25階下の路上に転落した。もちろん即死だ。直接の死因は転落による頭蓋骨骨折だが、死体のほうは全身打撲でかなりひどい状態だったらしい。第一発見者は向いのビルの住人でディック・ベイカーという男だ。自分の部屋の窓から、彼女が飛ぶように落ちていくのを目撃したと証言している。ニューヨーク市警の捜査によると、事件当時、彼女の部屋のドアは内側から鍵がかかっており、訪問者の気配はなかったとのことだ。部屋の中は荒らされた様子もなく、ルームメイトの証言では盗まれたものもなかったらしい。近所の聞き込みでは、不審な人間を見かけた者はおらず、その時分にアパートの付近を異常性格者がうろついていたという情報も入ってなかった。まあ、普通この状況からすると、彼女は自ら死を選んで飛び降りたと考えるのが、一番妥当なところだろう。

 ただ、この一件にはそれにしては少し気にかかることがあった。まず、第一に、彼女が落ちたと思われる部屋に残されていた、ある形跡。それはまるで誰かがすがりついたかのように激しく引き裂かれ床に落ちていたカーテンと、古い木の窓枠に残っていた幾つかの真新しい傷だ。これはいったい何を意味しているんだろうか。第二に、死体の右手にしっかりと握られていた小さな古いブリキのオルゴール(フラニー・ビンセントは初めて見たものだと言っている)。これにはサラ自身を除く二人分の指紋が見つかったが、誰のものかは未だに判明されていない。そして最後に、もっとも肝心な彼女の自殺の理由。遺書や書置きはなにも発見されなかった。友人たちの話によると、彼女には最近思い詰めていた様子もなければ、男にふられた話もなかった。彼女のまわりの誰ひとりとして、その理由に心当たりのある者はいなかった。それどころか、彼女と翌日の食事の約束をしていた人間がいたくらいだ。

 このように不明な点が残るのにもかかわらず、今のところ、捜査は何一つ進んでいない。いや、それどころかニューヨーク市警はこの一件についての捜査をまったくやっていないのも同然だ。この大都会の警察にとっては、しがない酒場のピアノ弾きの事件など本気でつきあう暇はないということなのかもしれんな。おかげで、彼女の死は、未だに自殺か他殺かの結論がでないままになっている。そして、この街では、誰もそのことを疑問にさえ思っていない。

 ところが、この状況の中で、ついに警察の捜査体制に不満をもった者が現われた。それは彼女が加入していた生命保険会社の人間だ。知っての通り、生命保険というものは死亡原因が自殺の場合、その保険金は支払われないことになっている。まったく連中は、どうすれば金を支払わないで済むかってことばかり考えているものさ。彼女の死因がはっきりしない中で、彼らだけはどうしても彼女は自殺したと確定したかった。そして、警察の捜査が一向に進まないことに苛立ち、それなら自分たちで彼女の自殺を早急に立証しようと考えたわけだ。もちろん、費用はうんとお安くすませたい。そこで、このジャド・グレゴリー事務所に仕事がひとつころがりこんできたという話だ。

 どうだいJ.B、すこし因縁めいた話だろう。リバティタウンから遠く離れたこの大都会で、この俺が君と関わった人間の死亡調査をすることになるなんてな。とにかく俺は調査を開始した。ところが、調べれば調べるほど、この事件には次々とおかしなことが出てくる。たとえば、サラ・シールズの生命保険についてなんだが、なんとサラ・シールズの保険金の受取人はサラ・シールズだった。わかるかい、J.B。もちろん、その人物は死んだサラとは別人だ。つまり、サラ・シールズが、自分と同じ名前を持つ別の人間を受取人にして、保険に入っていたということだ。たしかに、この世の中に同じ名前をした人間が何人いたところで不思議ではないが、何故そんなことをしたのだろうか。受取人になっているほうのサラ・シールズはウエストサイドに住む22歳のブティック店員だ。二人の関係は一応友人となっているが、どうやら複雑な事情がありそうだ。そして、その他にも……J.B、つまりこうだ。こいつはただの自殺なんかじゃない。間違いなく、とてつもない何かが隠されている、やっかいなしろものだ。そして、そのことを知った以上、俺はこの事件を解決しなくてはならん。そうだろうJ.B。ただ、正直な話、果たしてそれが俺ひとりの手に負えるものかどうか、そこが心配なだけだ。今ここに君のような男がいてくれれば、俺がそう思ってしまうのはやっぱりわがままな話なのだろうか。

 ずいぶんと長い間、君の顔を見ていない。よかったら近いうちに一度顔を見せてくれ。たまには、いつまでたっても刑事根性の抜けない老いぼれの話相手になるのも悪くないはずだ。事務所の近くに居心地のいいアイリッシュ・バーも見つけた。いつでもグラス2杯分のギブソンを残して待っているよ。




我が最高の相棒へ            
(どうかいつまでも、こう呼ばせてくれ)  

ジャド・グレゴリー